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我々人間は「目の動物」と言われるほど、外界の情報をとらえる感覚、すなわち視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚と言った五感の中で、眼から得られる情報は量的に最も多い。また、古くから「百聞は一見にしかず(”Seeing is believing”)」という諺があるように、夢を見ているような特別な状況でもない限り、目に映るさまざまな現象を”現実”、"真実"として捉えるほど、五感の中で視覚は大切にされている。
しかし、視覚より重要なものがある。嗅覚である。視覚や聴覚は、何かの原因によって失う事があるが、嗅覚を失う人はいないのである。即ち、嗅覚は、動物が生きていく上で、視覚以上に大切な器官であるといえる。失うことは、死を意味するとも言えようか。ところが、この絶対的に必要だと言われる嗅覚こそが、人間の五感の中で唯一成長とともに衰えていく器官だと言われている。この衰えの差が、鼻が利く人、利かない人の差に繋がっているようだが、意識して色々な匂いを嗅ぐ事で嗅覚の衰えを防ぐことができる。また、それなりの訓練をすれば、その感覚を伸ばすことができると言われている。香水の調合などに携わる調香師の鼻は、正に訓練の賜物と言えそうだ。
ところで、人の嗅覚には幾つか特徴がある。一つ目は、「匂いに慣れる」ということ。良い匂いでも嫌な匂いでも、しばらく嗅いでいるとあまり感じなくなる。二つ目は、「個人差」があるということ。その感度は、匂いの種類によっても個人差がある。同じ匂いなのに、人によって好き嫌いが分かれるのはそのためである。
というのも、一般的に、匂いは「脳」で判定する。息を吸うと、空気と一緒に匂いの分子が鼻に入り、鼻の粘膜にある嗅細胞を刺激する。その刺激は一種の電気信号となって「大脳皮質」まで届く。 この大脳皮質には、生まれ育った環境や、様々な経験、文化、体調など、いわゆる後天的な情報がたくさん詰まっている。その複雑な情報をもとに、脳が匂いの電気信号を快とか不快とか判断するのである。それ故、生後間もない、つまり情報が少ない乳幼児に、何かの匂いに対する好き嫌いはないのである。
さて、世界的にも歴史上的にもかつてない豊かさを享受している日本において、働きバチの人生を脱却し、快適で充実した人生を送ることためには、美しい音楽を聴く、美しいものを見る、よい香りを嗅ぐ、美味しい料理を味わうなどが、生活の重要なエッセンスになってくる。この重要な生活のエッセンスを体現させてくれるものこそが「五感」なのである。そういう意味で、現代ほど、「五感」が重要視されている時代は過去にないと言える。その一方で、日常生活において、フルに「五感」を使い、「五感」を意識して生きることも、重要度に反比例するかの如く少ない。
また、“五感で食べる”ということをよく耳にするが、「聴覚、視覚、嗅覚、触覚、味覚」の各感覚器を単に使うことを指すのでない。目標に対して知覚したことを、連携し、判断すること、即ち感情に結びつけることが大切なのである。つまり、他人が「思っている」ことを押し付けるのではなく、本人が「どう感じたか」が重要である。
当然の如く、これらの感覚的なものは、使わなければ、訓練しなければ衰えていくもであり、意識しなければ決して研ぎ澄まされるべきものではない。
今回のSMAT訪問は、錆びついている「五感」に新たな刺激を与えるきっかけになったに違いない。 |