京都スローフード協会・レンテッツァ例会
半田素麺
半田素麺の起源には諸説あるが、半田手延べ素麺の歴史は約250年前までさかのぼり、時の将軍に阿波の名産物として献上されたという記録が残っている。天保4年(1833)頃、約170年前頃から吉野川河畔の小野地区で、農家の副業として始まったと伝えられている。半田町史などによると、遅くとも江戸後期までには製法が伝えられたようだ。町内には吉野川水運の拠点港の一つ「小野浜港」があり、出入りする船頭が自家用に作り始めたという。
素麺作りを左右する気温、水、風にも恵まれ農家の副業として定着。昭和初期には素麺組合も設立され、戦争中は軍需品として飛躍的に生産量が伸びた。本格的に隆盛を迎えるのは戦後。町商工会のまとめでは現在、40業者が年間約四千五百トンを生産している。
秋口から始まる寒素麺作りは、四国三郎・吉野川の豊富な地下水と阿讃山脈から吹き下ろす寒風”剣山おろし”によって育まれ、他の手延べ麺に比べてひと回りほど太く、腰が強く、のびにくく、つるりとした喉ごしが特徴。奈良県三輪をはじめとする他の有名産地の品にはみられない独特の食感がある。一時は300軒ほどあった手延べ麺生産者も、今では約40軒が昔ながらの製法で麺を仕込んでいる。半田町は、正に『そうめんの里』 。人口5,600人、その小さな町のおよそ3割がそうめん作りに従事しており、農閑期の副業として行われてきたそうめん作りも、今では町の主な産業で、年間25億円以上を売り上げている。徳島県内各地でも郷土食として古くから親しまれ、徳島県を代表する郷土料理。
ヒネモノがうまい
そうめんは、昔からお中元、お歳暮などとして贈り物にも重宝されてきた。うどんやソバ、ラーメンなどの麺と違い、刃物を使って細くするのではなく、手で引き延ばしていくあたりが、縁起物として喜ばれている。しかも、「古物(ひねもの)」と言って、製造から1、2年寝かせたものが美味しいとされる。その理由は、手延べ素麺は、濃度の高い食塩を含み、サラダ油を塗って、よりをかけながら伸ばすこと、そして,半年以上の熟成期間と、1週間程度の高温多湿期間の処理をしてあるため、3年間は味が変化しないことなどである。また、新しいものよりも2〜3年置いたものの方が、風味が出るともいわれている。これは、麺に含まれる油と、小麦粉からの酵素、濃い食塩濃度によるもので、この中で、酵素が複雑な働きをするために、うどんとは違いがある。長期の保存に適しているため、来年のために、今年素麺を買う家庭も多い。尚、機械で作った素麺はうどんと同様早く食べる方が良い。
素麺とは
小麦粉に食塩と水を混ぜてよく練り、食用油を塗ってよりをかけながら引き伸ばして乾燥させ、熟成させるか、機械で帯状に細く切って乾燥させる。前者は手延素麺とよばれ、後者は機械素麺と呼ばれる。
手延べの場合は、引き伸ばしたものを天日乾燥したのち切断する。丸2日の工程を要するもので,極細の手延べそうめんの場合,1kgの粉が2km以上の長さになる。良質のコムギを産し,気象条件が戸外乾燥に適する地方では,農家の冬季の副業として生産されてきた。昔ながらの手延べそうめんが珍重される。寒中に製造されたのを倉庫にねかせ,梅雨どきを過ぎてから出荷される。色つやがよく弾力性のあるものが良品である。奈良県の三輪素麺、兵庫県の「揖保乃糸」など、一般に、西日本一帯にそうめんの産地は多い。
日本農林規格(JAS規格)によれば、素麺の麺の太さは、直径1.3mm未満とされている。因みに、直径1.3mm以上〜1.7mm未満は冷や麦、1.7mm以上はうどんと分類される。従って、太さで区分するJAS規格では、半田そうめんは「ひやむぎ」に分類される。しかし、半田そうめんの場合、江戸時代中期から続く伝統と、地元の意見を鑑み、「そうめん」と表記できることになっている。
直径1.3mm未満:そうめん
直径1.3mm〜1.7mm未満:ひやむぎ(半田そうめんは直径、1.3mm〜1.6mmが多い)
直径1.7mm以上:うどん
ふしめんとは
ふしめんとは、半田そうめん製造の副産物である。そうめんを延ばすために長い箸で上下に引っ張るときに箸に当たる部分が平たく節のようになるが、その部分は商品にはならない。三味線のバチに形が似ていることから、そうめんバチと呼ぶところもある。ふしめんは、そうめんそのものより腰が強いため、味噌汁やお吸い物の具として利用することで喉ごしを楽しみ、昔から有効に利用されてきた。観光客やお参りに来られたお遍路さんにも大人気の商品。
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